こうした記事をブログに書くか、書かないか・・・悩むところだが、三周忌くらいまでは亡くなった日(時期)を覚えているだろうが、その後は自信がないので備忘録としても残しておこう。
2017年1月27日(金)17時30分、義父が胃の悪性リンパ腫で永眠した。 享年86才でした。 半年くらい前に入院し、最初は完治とまでは行かなくてもそれなりに治るのかな?と思っていたが、徐々に進行していき、意識はしっかりしているものの、昨年暮れには年を越せるかどうか心配でした。
何とか年を越えたが先週くらいから出血も始まって、意識も弱くなっていよいよ危なくり、義母と妻と義妹が交互で病院に詰めていた。
26日の木曜日の夜は妻が一人で詰める日だったが、ドクターから「そろそろ覚悟した方が・・・」と言われたそうで、ちょうど私は翌日休暇を取っていたので「夜になるが、行こうか?」と聞いたが「義母と泊まることにしたので大丈夫」となり、私は自宅で待機状態。
翌金曜日の朝、妻から「義父は持ちこたえているが、今晩はさすがに義母を休ませたい」とのことだったので、私が用事を済ませてから夕方には行くことにした。
幸いにして私の用事は神戸のメリケンギャラリーで開催される写真展の作品を持って行くことであるが、義父の入院先も神戸の御影近辺なのでギャラリーへ作品を提出して病院へ向かう。(ギャラリーで珈琲を飲んで一息入れてましたが _(._.)_ )
病室へ入ったときはまだ義父は弱々しいながらも自発呼吸をしていた。・・・・が、なんと数分後に静かに止まってしまった。 妻がナースコールを押して看護師さんに来てもらったが、言うまでも無く、最後はドクターによる確認と言うことになり、その立会に義母も呼ぶか?・・・ってことだったが、もう疲れているだろうし、「万一の時、それは任す」と言われていたので、妻と(偶然なんだが)私が立ち会って17:30、ドクターによって死亡が確認された。
義父は痛い顔もせず、苦しまず、最後はまさに眠るように逝ってしまった。
その後は・・・それなりに覚悟はしていたとは言え、バタバタと色々なことをしなければならなかったが、義父に兄妹はいなかったし、生前の義父の意向もあって、好きだったクラッシク音楽を流しながら、家族だけでひっそりと音楽葬とした。
結果して、形式だけで時間通りに進められる葬儀よりも皆がお別れする時間が長くとれて良かったのではないかと思う。
この写真は何だ・・・って言われるかもしれませんが、葬儀などが一通り終わって義母らとちょっと高めのCafeで一息ついたときです。
で、これは・・・妻も心身共に疲れただろうから、二人で自宅近くの蕎麦屋さんで慰労してきました。
二人娘の家の婿に入らず、長女を妻にもらったのですから、義理の息子として来週も色々な手続きの手伝いをしてきます。
義母に疲れが出ないことを祈るばかりです。